目を閉じてみる。今日あったことが浮かんでくる。心に重くのしかかっていること。今自分が感じていること。自分の中だけの世界。しばらくじっとそれを感じている。少し気持ちがかるくなる。それは受け入れたこと。また目を開けば、新しい自分の始まり。
鏡の中の自分。右側から、左側から。もう少し細かい角度から見える自分。三面鏡が映す人の顔。いつも見ているような、初めてみるような人物。その表情は様々。同じ人でも角度が変われば違う表情が現れる。人もいっしょ。同じ人はいない。誰もが違っている。そんな当たり前のことに気づきたい。
東の空から明るくなる。冬の朝。ひんやりとした空気が漂う中、向こうの空に温かい色が広がっていく。気持ちも同じように温かさが広がっていく。温かさの広がり。朝には透明なエネルギーがある。誰でも触れることのできる力が、そこにある。
楽しいこと苦しいこと。どちらが多いのだろう。どちらもちっぽけなことから始まる。最初は小さなきっかけ。それが続くと大きくなっていく。気がつくとそれに占領されている。“楽しい”、“苦しい”という感情。スイッチがあれば切り替えることができるのに。でも本当はどちらも必要な感情。楽しいから苦しいがあり、苦しいから楽しいがある。最後はどちらも同じだけ。
耐えるときは、突然やってくる。気づくと準備もできずに「耐え」の中にいる。それでも過去を顧みながら、未来を求めて耐えしのぐ。いつしかそれが経験へと代わっていく。やがて気づくとまた次の「耐え」の中にいる。こうして人は少しだけ強くなっていく。
繰り返し流れる音楽。同じ歌詞、同じメロディー。でも心に留まるのはいつも同じところ。手が止まる、耳を傾ける。そしてまた前に進む。たった数秒につまった思いを抱擁する。大切にしたいものがそこにある。
記憶はないそうだ。頭の中には記憶の部屋はない。脳の神経がつながった「その時」だけがあるだけ。そのことの連続。思い出としてよみがえるのは、神経がつながったその時がよみがえるだけ。だから、どんなに嫌なことがあっても、悲しいことがあっても、もちろんうれしいことがあっても、その時で完結。だからこそ、「今」を大切に大切に、できることをやる。過去も、現在も、未来もあるのは「今」だけ。
緑の葉に1つ朱の葉をみつけた。小さい秋見つけた。自分だけのもの。誰も気づいていない。驚きと誇らしさと、少しの不安、誰もまだ知らないよね。でも本当の小さな秋は、朱に染まった葉をみて心が動いたこと。感動した自分を感じたこと。小さい秋みつけた。
心のざわつきを誰も止めることはできない、自分でさえも。気づいたらざわついている。嬉しいことでも、悲しいことでも、恥ずかしいことでも、我慢ができないことでも。自然に発生して、自然に消えていく感情。いつもそのざわつきに反応して振り回されている。ざわつきをざわつきとしておいておいたらどうなるのだろう。心のどこかに放っておいたらどうなるのだろう。きっと自由な自分がいる、、はずだ。・・・・・どうかな。。
(お風呂でもいいけど)お風呂から上がった後、涼むひとときもいい時間だ。外から入る微風でも、自分の手にあるうちわの風でも、その風にあわせ自分の声が聞きやすくなる。まだいけるかな、いけるよな。あれを直したいな。疲れたな、今は休みたい。自由な自分の声に耳を傾ける、そしてそのまま声に出してみる。それは大事な時間の一つになる。
よく見せようとするとしんどい。自然な自分でいたい、でもそれを意識すると無理がある。どこか不自然になってしまう。気楽な自分はどこにいるのだろう。多分好きなことをやっている、何かに集中している時、自然な自分がそこにいる。意識していてもいい、無理があっていもいい、これが自分だと受け入れたらそれでいい。
誰かに、何かに感謝するためには、自分から行動を起こしたい。感謝は何もないところからは生まれない。何かしてもらった、言葉をかけてもらった、そこで感情が揺さぶられる。小さな感情の揺れは、小さな行為から生まれてくる。待っていては何も起こらない。まずは自分から誰かに小さな感情の揺れを与えよう。そこからその人の感情が揺れ動き、言葉や行動につながっていく。そしていつの日か自分にも感謝できる日が訪れる。
日常の生活が、あっという間に非日常に変わる。これは突然にやってくる。気がつくと状況が変わっていた。どこかで人生は電話一本で180度変わると言っていたけど、本当だ。それでもそれを受け入れた時からまた日常が始まる。過去にこだわるのか、新しい日常を始めるのか。それは自分が何を見ているのかで決まる。
日常の生活には、答えのわからないことが多い。その答えのわからない質問にとても窮屈になる。必死に考えアグねても、正しい答えがみつからない。本当は正しい答えなどないのかもしれない。そんな時はどうすればいいのだろう。あっ、これも窮屈な質問になる。とりあえずは、なんとなく思いついたことそれを答えにしておこう。また違う答えが出てきたら変えればいい。何も思いつかなかったら、それが答えだ。今はその質問に答えるときじゃない。
少し日常に疲れたと思ったら、仕事に行き詰まりを感じたら、美術館に行ってみよう。どの絵でもいいし、アート作品でもいい。その作品の前に立ったら、そこはあなただけの場所。作品をじっくり見て何かを感じればいい。どう見えるか、何をみるかは関係ない。自分がどう感じたかを大切にしたい。できれば空いている美術館がいい。
ひとりで歩いていると、時々不安になる時がある。自分がとてもちっぽけな存在に思えてくる。そんな時はひたすら歩き続ける。そうするとさっきの不安が消えている。また出てくるかもしれない、でもまた消える。大丈夫、歩き続ければいつかは地に足がついた自分に行き着くのだから。
今日の自分はどんな風に過ごせたのだろう。もし何かと比べるのだったら、昨日の自分と比べたい。成長なんて大袈裟なものでない。楽しい時間は多かった?、誰かに親切にできた?、あの人に感謝することができた?、そんなことでいい。生物学的に人は細胞ベースで毎日変化している。それなら「自分」も、昨日とは少し違う自分であってもいい。そしてそれを知っている自分であってもいい。
美しい海辺の景色、深緑の木々に包まれる森、立ち止まって眺めてしまう絵画、ふと見つめてしまう横顔。深く静かに感動している。素直にその感動を言葉にしたい。着飾らなくてもいい、ただ自然に浮かぶ言葉を声に出す。スッと息を止めて、次に出る言葉は。。
坂道は急いで上るもの?ゆっくりと上るもの?その答えはあなたの中にある。一気に上りたい時、上る必要がある時には休まず上りきる、ゆっくりと上りたい時、急がないときにはゆっくりと上り、時には途中で休む。いつだって決めるのはあなたで、決めることができるのもあなた。他の人は決めることができないもの。周りからいろんな声が聞こえてくるけど、自分の声もどこかで聞こえている。静かに呼吸を整えれば聞こえてくるのはあなたの声。
夏が旬の野菜のスイカと果物のメロン。冷蔵庫で少し冷やしてからが食べどき。水分をたっぷり含んでいる果肉を一口噛むと、水分がジュワーと広がる。噛めば噛むほど口の中にこぼれ落ちてくる。そして甘い。お菓子の人工的な甘さとは違う自然の甘さ。後味いい甘さである。この冷たくジューシーな甘さを得た瞬間、たまらなく夏が好きになる。
さようなら、じゃあね。いつでも変わらない別れ際の挨拶。子供達の明るい声が夕暮れに響きわたる。この別れの挨拶の後には、きっとじゃあまた明日会おうねという言葉が続くはず。そこにどんな期待を持っているのだろう。ワクワク、きっと明日も楽しい日が待っているはずと。いつからだろう、そんな期待がなくなったのは。気がついたら期待を持たない別れの言葉になっていた。それは大人になったから?たぶんそれは何かを捨てたからに違いない、何かを得るために。
だから、言ったじゃないか。。でもね、わかっているんだよ。本当に。なぜそうなったかは本人が一番。反省もしてるし、残念にも思っている。そこにその言葉は辛いよ。思って言ってくれているのはわかっているけど、何も言えなくなってしまう。その時欲しいのは、静かな共感。それがあれば、自分で何かを探せるような気がする。
誰かが何かを真剣にやっていると、がんばれー、と応援する声が聞こえてくる。応援する方も一生懸命だ。声に気持ちがこもっている。応援される方は、もちろん一生懸命だ。でも応援の声が負担になっている人もいるかもしれない。応援が大きければ大きほど、期待が大きければ大きいほど、その負担も大きくなっていく。大きな応援の一部は、応援する人自身に対する応援も含んでいるのかもしれない。誰かを応援するときは、自分への応援を差し引いて、ほどほどに応援する方がいい。気持ちは十分伝わっているのだから。
空を見ていると、右側から旅客機が飛んでくる。青い空にゴーと音を立てながら右から左へと進んでいく。時には2機の旅客機がパラレルに飛んでいく。空には大小の白い雲が形を変えながら浮かんでいる。大きな空に飛行機を見つけた時の小さな驚きが嬉しい。飽きることのない時間。飛行機に乗った時の胸のざわめきが蘇る。空と飛行機は不思議な関係だ。
スイカを一つ取ってかぶりつく。食べやすい三角の形。甘さとジュウシーな味の広がりに思わず微笑む。黒いタネが食べるリズムを作る。急いで食べないように、タネがいい具合に合いの手を入れる。夏の午後、ちょっと一休みに食べるスイカは、それからの時間を励ましてくれる。
音楽を流しながら浴室に入る。半身浴しながら、静かに音楽に耳を傾ける。今は、AIが自分向けに音楽を選択して流してくれる。時々この音楽も自分の好みなのかと驚くこともあるが、たいがいはリラックスでききている。一人で入る入浴の時間は、自分だけの時間。誰にも邪魔されず、ココロが温まっていく。
目の前のレース、競技、試合にアスリートたちは集中していく。その時は周りの環境など関係ないように見える。もしかしたら、マインドに影響しているのかもしれないが、外からはわからない。TOKYOオリンピック2020の開催には色々な意見があるが、コンペティション(競争)の瞬間だけは、アスリートたちのその姿勢は変わらない。一方、大会、試合を運営している現場のスタッフ、ボランティアの人たちも自分の仕事に集中している。なんとかその試合、競技を成功させようと。その姿はアスリートたちと同じ舞台に立っている。彼、彼女たちもメダルの候補者だ。